福岡高等裁判所 昭和42年(く)15号 決定 1967年3月24日
主文
原決定を取消す。
理由
<前略>一件記録によれば、被告人は、昭和四一年一一月一四日、福岡地方検察庁小倉支部検察官から福岡地方裁判所小倉支部に「被告人は常習として昭和四一年一一月四日午前〇時一五分頃、北九州市門司区大里門瀬町一丁目の被告人方前路上において自己が乗車して来たタクシーの運転手藤井誠重から乗車代金の不足金を請求されたことに憤慨し、いきなり同人の顔面を手拳で一回殴打し、更に車外に飛び出した同人の後頭部を所携のバンドで数回殴打する等の暴行を加え、よつて同人に対し顔面、頭部挫傷等により加療約五日間を要する傷害を与えたものである」「罪名罰条、暴力行為等処罰に関する法律違反、同法第一条の三」との公訴事実により身柄勾留のまま起訴され、第一回の公判期日前である同年一二月二三日右裁判所小倉支部裁判官の保釈許可決定により釈放された。ところが、右保釈中の昭和四二年一月三一日再び傷害事件を起し、現行犯逮捕に引き続き同年二月三日、「被疑者は常習として武政清明と共謀の上、昭和四二年一月三一日午後九時頃北九州市門司区大里沖田町二丁目バー『連峰』入口において、同店に入ろうとした田川賢二を呼び止めて因縁をつけ、武政において田川の腕をつかみ、被疑者において田川の顔面を頭突きし、さらに同人を同区的場町十字路に連行し、武政、被疑者両名で田川の顔面、脚部等を殴る、蹴る等の暴行を加え、よつて同人に対し加療約七日間を要する右眼瞼打撲傷等の傷害を与えたものである」旨の被疑事実により右裁判所小倉支部裁判官の発した勾留状によつて再び勾留され、その後同月一〇日、福岡地方検察庁小倉支部検察官は右裁判所小倉支部に対し同日付訴因変更追加請求書をもつて、右被疑事実と同一性の認められる「被告人はさらに常習として昭和四二年一月三一日午後九時一〇分頃、北九州市門司区大里沖田町二丁目バー『連峰』前路上において、武政清明と共謀の上、田川賢二に対し些細なことに因縁をつけ、武政において同人の腕をつかみ、被告人において『まだぐずぐずいいよるか』と叫びながら同人の顔面めがけて頭突きをする等の暴行を加え、さらに同所から約一〇メートル離れた同区的場町十字路附近に同人を連行し、武政及び被告人の両名でこもごも同人の顔面、腹部を手拳で乱打し足蹴りを加える等の暴行を加え、よつて同人に対し加療約一週間を要する右眼瞼打撲挫創兼右外傷性結膜炎の傷害を与えたものである」との事実を新たな訴因としてさきの起訴状記載の訴因に追加する旨の請求をなし、同裁判所小倉支部は同月二日被告人に対する第三回公判廷において検察官の右請求を許可した。その後、昭和四二年三月一日弁護人から右再度の勾留継続を不当として取消請求がなされ、同裁判所小倉支部は同年三月二日右弁護人の請求を許容し、同年二月三日福岡地方裁判所小倉支部裁判官のなした勾留を取消す旨の決定をなした、という一連の経過が認められる。
ところで、原決定が前記再度の勾留を取消すに至つた理由は「本件のような包括一罪にあつては、保釈中に犯した罪が最初の起訴にかかる常習傷害罪の一部と認定されるまでは捜査の必要上、保釈中に犯した罪について再逮捕、再勾留することが可能であるとしても、検察官において保釈中に犯した罪を最初の起訴にかかる常習傷害罪の一部であると認定し、訴因の追加を請求した以上は、包括一罪も一罪であることには変りないのであるから一罪一勾留の原則を否定することはできず、本件のように一罪とされた事実についてすでに保釈が許されている以上その一部についてさらに被告人の身柄を継続することはできないものといわざるを得ない。右の場合に保釈中に犯された罪は別個の全くあらたな行為であると考え、訴因追加の申立を追起訴に準じて考える余地もないではないが、訴因の追加は必ずしも書面によることを要しないのであつて、このような不確定な訴訟行為を厳格な要式行為とされる公訴の提起と同視し、これに被告人の身柄の拘束をかからしめることは、刑事訴訟法第六〇条第二項、第二〇八条第一項の明文の規定に反し許されないものといわざるを得ず、結局検察官において訴因の追加を請求したとき再度の勾留状は失効し、検察官は直ちに被告人を保釈しなければならない」というにある。
そこで、まず原裁判所の標榜する一罪一勾留の原則から検討するに、勾留の対象は逮捕ととも現実に犯された個々の犯罪事実を対象とするものと解するのが相当である。したがつて、被告人或いは被疑者が或る犯罪事実についてすでに勾留されていたとしても、さらに他の犯罪事実について同一被告人或いは被疑者を勾留することが可能であつて、その場合に右各事実がそれぞれ事件の同一性を欠き刑法第四五条前段の併合罪の関係にあることを要しない。それらの各事実が包括的に一罪を構成するに止まる場合であつても、個々の事実自体の間に同一性が認められないときには、刑事訴訟法第六〇条所定の理由があるかぎり各事実毎に勾留することも許されると解するのが相当である。けだし、勾留は主として被告人或いは被疑者の逃亡、罪証隠滅を防止するために行われるものであつて、その理由の存否は現実に犯された個々の犯罪事実毎に検討することが必要であるからである(刑事訴訟法第六〇条第一項参照)。もつとも、同一被告人或いは被疑者に対し数個の犯罪事実ことに当初から判明している数個の犯罪事実についてことさらに順次勾留をくり返すことは不当に被告人或いは被疑者の権利を侵害するおそれがあり、その運用についてはとくに慎重を期さなければならないことはいうまでもない。しかし本件においては、すでに説示した経過に徴し、再度勾留にかかる傷害事犯は最初の勾留時は勿論起訴当時においても予測できなかつた新たな犯罪行為であるから、たとえそれが最初の勾留又は起訴にかかる傷害事犯とも包括して暴力行為等処罰に関する法律第一条の三の常習傷害罪の一罪を構成するに止まるとしても、これについて再び勾留する理由ないし必要性があるかぎり、本件再度の勾留は必ずしも不当とはいえない。右と異る原裁判所の見解には賛同し難い。なお、原裁判所は、本件抗告に対する意見のなかで、包括一罪について既判力の関係で一罪性を認め、勾留に関する関係では個々の犯罪事実が対象となるものとして一罪性を否定することは恣意的に一罪を分断し包括一罪を認めた趣旨を没却するものであるという。しかしながら、公訴の提起の効力及び既判力が一罪の全てに及ぶ(刑事訴訟法第二五六条、第三一二条、第三三七条第一号)とされるのは同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問われないいわゆる一事不再理の原則(憲法第三九条)に基づく法的安定性の強い要請によるものであるのに対し、他方勾留は主として被告人或いは被疑者の逃亡、罪証隠滅を防止するというきわめて現実的な要請によるものであり、それとこれとはそれぞれ制度本来の趣旨を異にするものであつて、必ずしも直接関連するものではなく、いわゆる常習一罪ないし包括一罪の関係で、既判力の及ぶ範囲と勾留の効力の及ぶ範囲とが時にその限界を異にするばあいがあつても、けだしやむをえないところである。原裁判所の右意見には必ずしも賛同し難い。
つぎに勾留期間と公訴提起の関係について検討する。
刑事訴訟法第六〇条第二項は、起訴前に被疑者を逮捕勾留した場合における勾留期間及びその起算点について「勾留期間は公訴の提起があつた日から二箇月とする」旨規定し、同法第二〇八条第一項は被疑者に対する勾留期間について「勾留の請求をした日から十日以内に公訴を提起しないときは検察官は直ちに被疑者を釈放しなければならない」旨規定する。その法意は勾留事件についてはなるべく速やかに裁判所の審判を請求し、審理の促進をはかり、迅速な裁判を受ける被告人の権利を実質的に保障しようとするにある。そして、或る犯罪事実について公訴の提起がなされるとその効力は一罪の全部に及ぶと解せられ、例えば一罪の一部を構成する一の犯罪事実(甲)について公訴の提起がなされると、公訴事実の同一性が認められるかぎりその一罪の一部を構成する他の犯罪事実(乙)についてもその効力が及び、乙事実についてさらに公訴を提起することは許されないと解せられる(刑事訴訟法第三三八条第三号参照。但し甲事実に対する公訴提起後に乙事実が行われた場合には甲事実に対する公訴提起の効力は乙事実に及ばないとする見解もあるがいま直ちに賛同し難い。)したがつて、甲事実が裁判所に係属中さらに乙事実について審判を求めるためには検察官は同法第三一二条に基づき訴因の変更(甲、乙両事実が包括的に一罪を構成する場合)、追加(甲、乙両事実が科刑上の一罪である場合)の請求をしなければならない。
そうすると、右の場合、甲事実について勾留のまま公訴提起がなされ、その後乙事実について逮捕、勾留がなされた(これが許されることはすでに前段説示のとおり)ときには、乙事実については甲事実の係属中もはや公訴の提起は許されないから、勾留期間及びその起算点を公訴提起にかからしめている同法第六〇条第二項、第二〇八条第一項の規定はそのまま乙事実に対する勾留に適用するわけにはいかない。さればといつて、乙事実についても速やかに審判の請求を受け、迅速な裁判を受ける被告人の権利(憲法第三七条第一項参照)を無視することはできない。このような場合における乙事実に対する勾留の期間及びその起算点については刑事訴訟法はなんら規定するところがない。
しかしながら、ひるがえつて考えてみるに、公訴提起は起訴状に訴因を明示して裁判所に対し審判を請求する訴訟行為であり、訴因の変更、追加は公訴事実の同一性を害しない限度において起訴状に記載された従前の訴因に代えて新たな訴因を掲げ、或いは従前の訴因に新たな訴因を附加し、これに対して裁判所の審判を請求する訴訟行為であり、両者の性質はきわめて類似し、けつして異質のものではない。なるほど原決定が指摘するとおり公訴の提起は要式行為とされ、訴因の変更、追加の請求は要式行為とされていない。公訴の提起が要式行為とされるのは被告人保護のためである。訴因の変更、追加の請求が要式行為とされなかつたのは、それが公訴の提起を前提とし、公訴事実として起訴状に明記された訴因に代え或いはこれに附加して新たな訴因の審判を求めるものであるから、その限度においてはあえて要式行為としなくとも被告人の保護に欠けるところがないであろうとの考えに出でたものと解される。したがつて、要式行為であるか否かによつて両者を相容れないものとすることには賛成し難い。
以上、かれこれ考え合わせると前記設例の場合における乙事実に対する勾留の期間及びその起算点について刑事訴訟法が何ら規定を設けなかつたのは、立法者がかかる事態の生ずることを想起しなかつたためとも考えられ、いわば法の不備ともいえるが、それはそれとしてむしろ一歩進んで訴因の変更、追加の請求を公訴の提起に準ずるものと解し、同法第六〇条第二項、第二〇八条第一項の「公訴提起」とは訴因の変更、追加の請求をも含むものと解するのが相当である。そして右は同法条の精神に合致こそすれ、けつして相反するものではない。
そこで、本件再勾留並びに勾留継続の当否について判断するに、叙上説示の理由により、昭和四二年二月三日福岡地方裁判所小倉支部裁判官の発した勾留状による本件再度の勾留は刑事訴訟法第六〇条第一項所定の理由が存するかぎり適法なものと認められ、検察官が同勾留にかかる前記保釈中の常習傷害の事実と本件起訴状記載の常習傷害の事実との間に公訴事実の同一性が認められるとして同年二月一〇日同日付訴因変更追加請求書をもつて右保釈中の常習傷害の事実について新たに審判の請求をした(検察官は訴因の追加請求をしているが、訴因の変更請求をなすべきものと考える)本件経過に徴すると、その勾留期間は右審判請求のあつた日である同年二月一〇日から二箇月であると解するのが相当である。したがつて、本件再度の勾留期間はいまだ満了せず、現在なお勾留を継続することが可能であるといわなければならない。叙上と相反する見解に出で、検察官において訴因追加(変更)の請求をしたとき本件再度の勾留状が失効し、検察官はそのとき直ちに被告人を釈放しなければならないとしてその勾留を取消した原決定は失当であるといわなければならない。原決定の取消しを求める本件抗告は理由がある。
なお、検察官は本件抗告の裁判があるまで、原決定の執行を停止されたい旨の申立をしているが、記録によれば被告人は原決定によりすでに昭和四二年三月二日釈放されていることが明らかであり、その必要を認めない。
そこで、刑事訴訟法第四二六条第二項に則り原決定を取消すこととし、主文のとおり決定する。(柳原幸雄 至勢忠一 武智保之助)